映画「アラビアのロレンス」
- fcsakai2
- Aug 29
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イスラエルによるガザへの攻撃が連日報道され、何万人という幼い子どもを含む民間人が犠牲になり、飢饉が発生していると発表されたにも関わらず、国連の人道支援もままならぬ状況です。この「パレスチナ問題」の根幹ともいえる20世紀初頭のアラビア情勢を垣間見ることができるのが映画「アラビアのロレンス」です。
20世紀初頭、オスマントルコが治めていたアラビア半島・パレスチナで、イギリスがファイサル王子率いるアラブ民族のゲリラ活動を支援。イギリス陸軍将校「トマス・エドワード・ロレンス」を派遣し、アラブゲリラを率いてオスマントルコ軍を打ち負かし、アラブ解放につなげた壮大なストーリーです。ロレンスはアラブ民族独立を夢み、アラブ民族の先頭に立ちゲリラ戦法で次々と戦果を上げアラブの英雄となります。しかし本国イギリスは国の権益の拡大のみが目的で、アラブの独立を許す気は全くなく、またアラブ民族もそれぞれの利益のみで、まとまることができません。やがてロレンスは母国イギリスとアラブの間で引き裂かれ、失意のうちに帰国し、14年後バイク事故で46年の生涯を閉じます。
当時、イギリスは「三枚舌外交」を行っています。
アラブの指導者に対しては、オスマン帝国への反乱を促し、勝利した後はアラブ人の独立国家を約束
します(フサイン・マクマホン協定)。イギリス・フランス間では、旧オスマン帝国を山分けする秘
密協定(サイクス・ピコ協定)を結び、ユダヤ人に対しては、当時の世界的なユダヤ系の財閥ロスチ
ャイルドからの資金を引き出すために、パレスチナにユダヤ人国家の建設を支持すると約束します
(バルフォア宣言)。この事が、現在のパレスチナ問題の原因となったといわれています。いつの時
代も大国の身勝手な思惑が、とんでもない事態を引き起こすのです。
サイクス・ピコ協定によりアラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリスにとって、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていきます。オスマン帝国軍から解放されたアラビアにとっても、白人のロレンスがアラブ反乱を指揮した事実は邪魔となっていき、彼はアラビアから追放されるのです。
ロレンスは最期まで自分の行動に悔いを持ったままだったといわれています。その悔いが100年続いていくとは想像だにしていなかったでしょう…。
(もちむぎ)





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