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  • fcsakai2

遺骨

 「3年前の4月、父が他界した。肺癌だった。発見されてから4ヶ月、あっという間だった。それまで病気らしい病気をしたことのない人だった。父の遺骨はとてもしっかりしていた。その中の小さなかけらの一つを、私はこっそりと持ち帰って来た。その骨のかけらは今も我家のたんすの奥でひっそりと眠っている。

 実家は北陸である。昭和7年生まれの父は典型的な昭和の男だった。横暴で、身勝手で、母によく暴力を振るっていた。私は弟との二人姉弟だが、弟が生まれる前「今度も女だったら俺は抱かん」と言っていたらしい。そんな父が私は大嫌いだった。今では父の苦労も暴力の理由も理解は出来るが、やはり好きにはなれなかった。そんな父も余命3ケ月と宣告されてからは、めっきりと弱っていった。

最後の4日間は母と交代で付添った。最期の夜、父は暴れた。苦しかったのだろう。両腕を振り回し、心電図の端末を外し、点滴を引き抜こうとした。酸素マスクも跳ね除けようとした。「お父さん、酸素マスクとったらもっと苦しいよ!」呼びかけても返事はない。そんな父を見ているのはやはり辛かった。でも、どこか冷静な自分がいた。「罰があたったのかもね、今までさんざん好き勝手してきたから。でももういいよ、許してあげるよ。はやく楽になってよ」そんな思いだった。その思いがつい言葉に出てしまった。「罰があたったのかもね」と言ったその時、父は一瞬、カッと目を見開いて私をにらみつけた。「わかってる?!」と思ったとたん、また元のように暴れだした。体を押さえながら「聞こえてる?お母さんも私も、もう許してるから」と話しかけても、何の反応も示してくれなかった。そのまま朝を迎え、母が来るのを待っていたかのように息を引き取った。

 お通夜から葬儀とバタバタと動き回りながら、頭から父の顔が離れなかった。後悔していた。あんなこと言わなきゃ良かった。遺骨を持って帰ってきたのは懺悔の気持ちだった。実家から大阪に帰る車の中、父の死後初めて泣いた。それは悲しみの涙ではなく後悔の涙だった。

 あれから3年が過ぎて、気持ちにも変化がおきている。最期に気持ちが通じなかったとしても、それはそれで仕方がないと思えるようになった。私たちらしいとさえ思う。「許してるよ」の言葉が届いていたとしても、「お前なんかに許してもらうようなことなど何もない!」と怒っただろう。そういう父だった。私は対等を求め続け、父はそれを理解できなかった。最期に優しい言葉のひとつくらいかけてあげればよかったのに・・・とは、今でも思う。父の人生、私が許すだの許さないだの言えるものでもない。でも、あの時のあの気持ちは、まぎれもなく私の本音だった。それは誤魔化しようがない。それに、優しい言葉もかけたはずだ。それには全く反応しなかったのだ。本当に父らしいと思う。

 いつか後悔の気持ちが無くなった時、父を富山に帰そうと思う。それまでそこにいてよ、お父さん。」


以上は15年前に書いた文章だ。書いたことで、随分と気持ちが楽になったことを覚えている。去年の夏、父の遺骨を富山の海に返してきた。後悔の気持ちが全く無くなった訳ではないが、胸が痛むことも無くなった。15年かかったが、今はすっきりとした気持ちでいる。


                                 フリージア



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