天高く馬肥ゆる秋、晴れた日の青空、涼しい風、とても気持ちがいい季節だ。
いつもこの季節になると、今、掃除すれば年末プルプル震えながらしなくてもよいのに、と思うが、掃除したことは一度もない。毎年そう思うってことは、私が掃除をするのが当たり前で、年末までに家を大掃除するもの、ということが心や身体にしみついてしまっているからかもしれない。ただ、ここ数年、実際には年末にだって大掃除をしたことがない。今年は特別寒いから、今年は孫が泊りで来ているから、などとしない言い訳を自分に対してしている。言い訳をすると言うこと自体、掃除をしないことに罪悪感を持っているのだ。なのに、しない。多分、私はこうやって積み重なっていく埃の山に埋もれていくのではないかと思う。
本当は、自分の好きなものに囲まれて、ゆったりとした空間で、心にゆとりをもって暮らしたい。昔からずっとそう思っている。でも現実は紙の山を右へ左へ寄せながら狭い隙間で暮らしている。時々、いやいつもかな、出かける間際に何かを捜してそこらじゅうをひっくり返す。なんとか見つけてその時はほっとするけど、帰宅してひっくり返っている中にぽつんと座ってため息をついてしまう。周りを見渡して、うち泥棒でもはいった?って感じだ。
料理、片付け、掃除、洗濯、家事は、今や女性だけが担うものではなく、家族で分担するものである。でも昭和な夫と二人暮らしの妻は一体だれと分担するというのだ。だから生きるためにどうしても必要な家事のみはするが、あとはしないということにした。先に書いた年末の大掃除だって、罪悪感は残ってはいるがしない。幸い私があまりに何もしないので、夫は自分のことは自分でするようになった。やったらできるじゃないとわかったので、さらに自分のこと以外もできるようになってもらおうと密かに思っている。年末の大掃除も夫がしてくれたら手伝ってもよいと思うのだが、その日は来るのだろうか。お天気の良い秋のうちにしようと誘ってくれたらと、青空を見ながら思っている。(tak)
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