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  • fcsakai2

6年前の秋

6年前のハロウィーンの頃の昼下がり、弁護士からの着信があった。子どもの電話番号を知らせろと。

ん?なんで子どもの電話???

ともあれ、子どもが電話を入れてみたところ.. ..

父親が救急病院にいると。子どもが行くなら延命措置を続けるが、来ないなら装置を外すということだったらしい。

どうするのかな?と思っていたけれど、行くというので、付き合った。

子ども、5歳のときに私が連れて出たので、その後、父親には3回くらいしか会っていないと思う。最後に会ったのは、多分、その10年くらいまえ。

父親側から拒否されていた。多分、子どもは母親に操られていると思っていたのだろうと察するのだけれど。

臨終の儀になるのかな?と思っていたところ、装置を外したら自発呼吸が復活した。医師にも経験がない事態らしい。で、まぁ、装置再装着。会いたかったのかなぁ?

なんだかんだで夜中に息を引き取って、子どもが葬式をするというので、葬儀の手配。

夜中の病院でオムツを買いに行かされて、迷子になって怖かった。夜中に葬儀社の車で遺体を乗せた台がギシギシいって怖かった。阪神淡路の震災の際には、同じような道を自転車を並べて走って大阪に戻ったなぁなどと思い出し、通夜・葬儀。

なぜ葬儀をしたのか?「血との訣別」だったらしい。自分は彼とは違う人間であると。

その後、彼の借り上げ社宅を明け渡すために社宅通いの日々。

死んでからまで、私に迷惑をかけるな!と罵っていた秋でした。

そして、彼が生きている現在も未来も想像できないな、と思う秋です。


(米)

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