最近、女性の身体について考えさせられる二つの物語に触れた。
ひとつは、「男性妊娠」という奇怪な現象が増えているという設定の『ヒヤマケンタロウの妊娠』という、漫画が原作のドラマだ(原作:酒井恵理)。エリートサラリーマンのヒヤマケンタロウは、仕事と自分の自由を謳歌するためならめんどくさい人間関係は避け、スマートに生きることを人生の最優先事項としているような男だった。が、ある日自分が妊娠していることに気づく。始めは躊躇することなく中絶することを選ぼうとするのだが、妊娠による体調不良で仕事に集中できなくなったり、中絶するにも相手の同意がなければできないといわれたりと思いがけない壁にぶつかる。そんな時、偶然、自分以外の男性妊婦と知り合い、交流が始まる。妊娠に対する気持ちが少しずつ変化していき、男性妊婦の支え合いのグループを作つくるまでになる。そしてヒヤマは産むことを選ぶ。出産を決心してからも、妊娠したという事実だけで被る周囲の偏見や、つわりの苦しみ。出産後の生活や育児への不安。仕事優先で結婚も子育ても考えていなかったパートナー女性との関係、男性妊婦として支え合ってきた友人が流産するなど、多くのことを経験する。ユーモアを交えながら「妊娠・出産」が語られているが、単に男女が入れ替わったSF話ではない。女性が昔からずっと荷わされてきた葛藤、怒り、悲しみ、そして喜びや満足感などを、当事者として感じていく過程がうまく描かれている。(このドラマでは妊娠出産を女性が経験する象徴的なことして描いているが、もちろん子どもを産むことだけが女性の生きづらさを理解するために必要だといいたいのではない。)
もうひとつの物語は『彼女たちの断片』(TEE東京演劇アンサンブル 作:石原燃 演出:小森明子)というお芝居(ネット配信)。
望まない妊娠をしてしまった大学生が、相手の男性に妊娠を相談することもできず(詳しい事情は語られない)、海外の支援団体から中絶薬を送ってもらって中絶することを選ぶ。日本で中絶しようとすると、費用、相手の同意、掻破法への不安など多くのハードルがあるため、友人に相談し、いろいろと調べて国外から支援を得ることにしたのだ。
届いた中絶薬は、2種類あり2日間かけて服用する。海外では安全が保障されていて、広く普及している薬だが、やはり友人と二人だけで臨むのは不安だったので、事情を理解してくれた年上の知人の家で薬を飲むことする。中絶薬を服用してから中絶が完了するまでの一晩を、その知人の家に集まった年齢も経験も様々な6人の女性たちに見守られながら過ごす。その時間の中で、それぞれの人生の断片が語られる。日本の医療の在り方や、国が女性をコントロールしてきた歴史、そしてそれぞれが経験した妊娠、中絶、レイプ、家父長制や優生思想に対しての思いが、おしゃべりやひとり語りの形で描かれていく。演じている女性たちの輪に入り、私も自分の断片を語りたいと思った。
日本では、ようやく2021年に経口中絶薬の承認申請が出された。だが、簡単に中絶する女性が増えるなどの理由でなかなか承認されない。承認するにしても、費用を高額(10万円程度)に設定し(海外では数百円で薬局で購入できる。原価は770円程度)、なおかつ配偶者の同意が必要などの見解を厚労省は示している。
100年以上も前から今に至るまで、女性の身体は国家(男性)の持ち物だという考え方が少しも変化していないということなのだろうか。自分の身体が自分以外の何者かにコントロールされるという経験がどういうものなのか、身をもって経験しないと想像することも難しいのだろうか。あまりに想像力にかけている。これ以上悲しい思いをしなくてすむように、少なくとも他者の身体と人生を思い通りにできると思わないでほしい。
qan
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