お隣に不幸があり、長い間施設に入っていた方が亡くなった。
私が結婚してここに住むことになった時からよく声をかけてくれて色々教えてもらった。私の母より少し年上の女性だった。私は結婚して義父母と同居したのだが、義母は義父と結婚してここに住んで、そのちょっと前に結婚して隣に住んでいた女性にいろいろ嫌味を言われることが多かったらしい。でも、年の離れた私には優しい言葉をかけてくれた。女性は息子とその妻と3人の孫と暮らしていた。息子夫婦がフルタイムの共稼ぎだったので、孫の世話をずっとしていた。とてもお元気な方だったが、孫たちがすっかり大きくなり、大学へ行ったり、働き始めたころぐらいか、急に歩けなくなった。足が立たなくなってしまっただけで、他はどこも悪くなく、頭もしっかりしていた。でもすぐにお隣からいなくなった。
女性と同居していたのは長男だったが、近くに次男がその妻や子どもと住んでいて、足が立たなくなった女性はそちらで暮らすことになったらしい。お隣のトイレは田舎なので家の外の離れにあって、歩けないといけないという理由だったようだ。次男の家のトイレは新しく建てられたので家の中にトイレがあり這って行くことができるから。でもそれも一時的で、入れる施設を捜しているようだった。施設が見つかり入所するというので急いでその次男の家にお見舞いに行った。女性は私の手を握り、「顔を見せてくれてありがとう。女三界に家なしというけれど、本当のことだったんやで」と言った。とてもさみしそうで、あんなに気が強くてしっかりしていた女性が、こんな風になってしまうなんてと、その時はとてもびっくりした。20年くらい前の話だ。施設へ入った当初は車いすでも、カラオケで歌ったり、俳句や短歌を新聞投稿したり、楽しく充実していたようだったが、だんだん弱り寝たきりとなって亡くなった。
女三界に家無し。女は、幼少の時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わねばならないものであるから、この広い世界で、どこにも安住できることがない。三界というのは世界という意味らしい。
たくさん兄弟がいたその女性は、早くから親を助け兄弟のために働いた。そして結婚して夫を支えて3人の子どもを育てた。長男夫婦と暮らし、孫育てをして、子を支えた。でも、その後何十年も施設で暮らし、一度も隣に帰ってくることはなかった。おそらく、女性とその夫が建てて暮らしてきた家なのに。私の手を握って伝えたかったのは、本当はどこにも行きたくないという気持ちだったのだろうか。
でも施設に入ってみて、誰に気兼ねをすることもなく活き活きできたのではないだろうか。施設にいたころの写真の笑顔を見てそう感じた。生まれて初めて自分のために生きることができたのではないか。施設はその女性にとっての安住の地だったのではないか。本当の気持ちをもう聴くことはできない。お通夜に参加する支度をしながら、その女性に何と言って見送ろうかと思案している。(T)
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