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「わきまえない女」に思う

「女のくせに女を捨てている」とか言ってくる人がいるらしいけど、そんなのどうだっていい。

そんな人に女と認めてもらう必要なんて全くない。

私は私。一人の人間として自分が心地よいと感じられる様に生きたいだけ。

「女は女らしく生きて、女の幸せをつかみなさい。」「女を磨きなさい。」(磨くってなんや?)

幼い頃から、テレビやCM、雑誌などからそんなメッセージが流れ込んできて、それを取り込んでしまっていた。

女性を性的に消費する男性中心のメディアからのメッセージをずっと受け取ってしまって、女性であっても女性を男性の性的な目線で見ることに慣らされてしまっていた。

何だか嫌だな、違うなと感じてもそれを言語化できないまま、モヤモヤを抱えたままになっていたり、感覚を鈍麻させ、モヤモヤを感じなくしていっていた。

幼い頃からそんな文化の中で育ち、まだまだ男性が多数を占め、特に決定の場ではほとんどが男性という社会、職場へ出るとその価値観を本当には受け入れられないまま、多勢に従わざるを得なかった。


違和感を追及したり、おかしいと声を挙げると、うるさい女、わきまえない女、というレッテルを貼られ、口を封じられる。その場を生き延びるために‘わきまえ’ざるを得なかった側面はあった。

でも、結局、本当に自分が生き易くなるため、生き抜くためには、‘わきまえ’ずに、声を挙げざるをえなかった。

そんな女たちがいて、少しずつでも声は挙げやすくなってきた。社会が受け止めるようにもなってきている。遅々としてはいるが、確かに地殻変動は起こっているようだ。女性が生き易い社会に一気に変わるということはあまり期待できないと思ってしまうけれど。

‘わきまえ’ずに声を挙げ続けることが大切だと思う。私は私なりにしかできないけれど。

一緒に声を挙げたり、私一人だと見逃してしまいがちだけれど、「変わってきているよ」と希望の持てる情報を共有し合える人々と出会えていることが私はうれしいし、ありがたい。

3/28 ふぇみとーくぷらすで、素敵な「わきまえない女たち」に出会ってもらえたら、と思います。                                 (彩)

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